気血水

気滞 -- 欝,倦怠,咽中炙臠

気の循環が阻害され,停滞をきたして病態です.抑鬱傾向を伴い,症状は停滞した部位によります.例えば頭部で気滞が生じれば抑鬱,不眠,倦怠,頭帽感などを訴えます.また咽喉部であれば咽喉閉塞感や咽にものがへばりついた感じがして,漢方では特にこの自覚症状を梅核気,あるいは咽中炙臠と呼んでいます.咽中炙臠に対しては,半夏厚朴湯がよく使われます.

上衝 -- 赤ら顔,精神不安

気逆とも言います.気が身体上部へ異常に集まった状態です.気が上衝すると,のぼせて赤ら顔になったり,さらに程度がひどくなると頭痛が起きたります.このとき身体下部の気が異常に減少すると足が冷え,のぼせ冷えとなります.また,急激に気が上衝すると絞扼感,不安感が上行し,胸内に突き上げて動悸が生じ,さらに上行すると頭痛を起こします.これを奔豚と呼び,下腹の方から何かが突き上げる感覚を受けます.程度が激しければ失神し,特に重篤な場合は死に至ることもあると云われます.

桂枝加桂湯,苓桂甘棗湯が代表的な薬方で,奔豚湯というその名の通りの薬方も存在します.

気虚 -- 元気がない

六病位

六病位とは病気の時期と位置などを統合的に表すものです.漢方では病気の流れを陰陽の二つに分類しますが,細かく見てみると陽の時期も陰の時期も各三つずつの時期に分けられます.また病邪の体内での位置も,表・半表半裏・裏の三つに分けられます.これらをまとめたものを六病位といい,陽から陰にかけて,太陽病・少陽病・陽明病・太陰病・少陰病・厥陰病と進んでいきます.また病邪の位置は太陽病期が表,少陽病期が半表半裏,陽明病から蕨陰病までが裏と,病の進行と共に身体の内部深くへと進み,より重く,より治癒し難くなります.陽証と陰証で基本的な方針が変わり,また各病位で対処法が異なるため,病位の把握は治病に欠かせないものです.

太陽病

太陽病は病邪が表位に存在する時期で,脈は一般に浮脈(脈診の項参照)となり,特徴として頭痛・発熱・悪寒の三つがあげられ,この三つが揃えば,目下太陽病期にあると言えます.また表位のため,項背部(うなじ)の凝り,筋肉痛,関節痛,神経痛なども見られます.舌はまだ正常です.太陽病での治療原則は発汗させて熱を冷まさせ治癒に導く,というもので,この時期に使用する薬方は体内での温熱産出を助ける薬方が中心となり,虚実によりその程度を区別して投与しています.

少陽病

はじめての傷寒論

漢方医学の原典とされる傷寒論と金匱要略.他の処方集と比べてみても,よく効く優れた処方が多いといわれます.その中身については,他の優れた解説書に譲るとして,ここでは傷寒論の世界に顔を突っ込むための,背景知識をまとめてみましょう.

傷寒論とは?

今から約1,800年ほど前に中国で成立した湯液療法の書です.張仲景の手によります.元は同じ書であったといわれる金匱要略とともに,現存する最古の漢方医学書です.古方派では,傷寒論(+金匱要略)を唯一の原典とし,ここに書かれている概念を絶対的な土台とし,そこから逸脱することを極力避けようとします.従って,古方漢方は時として傷寒論医学とも呼ばれますが,同じものではありません.

病は陽と陰に分けることができ,陰陽はそれぞれ3つの時期に分かれ,陽から陰へ,太陽病から厥陰病へと進んでいくという,時間の経過,病状の変化を考慮した独特の病理観を持っています.病の流れに沿って,どういう治療をすれば治るか,快方に向かうか,この場合にはどの薬方を使えばいいのか,生薬の前処理の仕方,煎じかた,飲みかた,やってはいけない治療,それに逆らった場合の対処法など,こと細かに記されています.

中国伝統医学の歴史

中国大陸では、少なくとも殷代の昔から何らかの形の医療行為が存在しました。甲骨に文字を刻み、ヒビの入り方によって病の原因や治療法を占い、治療には祈祷・祭祀が頻繁に用いられました。外科療法としては、メスとして膿などを去るのに石製の刃物―ヘン石が使われていました。これは後に「鍼」に進化し、中国伝統医学の、他の伝統医学には見られない特色の一つとなります。出土史料からは、薬物療法が行われていたと断言できる証拠は見つかっていないのですが、原始的な形のものは行われていたであろうと考えられています.

東洋医学の根幹をなす陰陽思想は、少なくとも春秋時代には出現していました。このころになると祭祀による治療は影を潜め、薬物療法とヘン石療法が中心となります。戦国時代になると五行論が成立し、さらに陰陽論と結びついて陰陽五行論へと統合されます。また、戦国中期には灸療法が出現し、外科的療法であったヘン石と内科的療法であった灸が結びついて、前漢初期までには鍼療法へと進化します。

漢代は、それまで少しずつ育まれていた中国伝統医学が花開いた時代です。およそ2000年前に形作られた概念は、現代に至るまで基本は変わりません。このころまとめられた本のいくつかは,東洋医学の重要な文献として最重視されています.

陰陽・虚実・表裏・寒熱

病邪に対して身体が呈する闘病反応の状態を表現するのが,陰陽・虚実・表裏・寒熱です.この8つはまとめて八綱とも呼ばれます.これらの事項を把握することによって,身体と病の力関係=戦況を知ることができます.

陰陽

漢方では時間の流れに伴う病の状態の移り変わりを重視しています.病のかかり始めから終焉(死の直前)までを大きく2つに分け,前期を陽病,後期を陰病と呼びます.

陽病期には,病者は熱感を覚え,顔色は赤いことが多く,病態は積極性を呈しますが,陰病期には,病者は寒のみを覚え,顔色悪く,病態は消極性を呈します.また,一般に陽病は陽証,陰病は陰証と呼ばれます.

闘病反応は身体と病邪との戦争にたとえ,体力と病毒の消長を表すのが陰陽です.陽病期では体力は量的に病毒に勝り,身体側有利の戦いであり,身体は体力をつぎ込んで病毒に対して積極的な戦いを挑みます.一方,陰病期では体力は量的に病毒に劣り,病毒有利の戦いとなり,身体は残り少ない体力温存の為,防戦一方とならざるを得ない状況です.

東洋医学と漢方と中医

日本で東洋医学というと,普通は日本と中国の湯液,鍼灸,その他の療法を意識すると思われます.もちろん,通常は明言されないけれども,韓国等の同様の医学も含まれます.時には,「西洋医学(現代医学)」と対比する意で,インドの伝統医学あたりまで指すこともあります.かなり広い概念です.

一方,中国から離れて日本で独自に発達した伝統医学は,湯液の場合は日本漢方と呼ばれます.ただ単に「漢方」という場合は,日本漢方のみを指す狭義の意味から,「漢方=東洋医学」の鍼灸まで含む広い意味で使われる場合まであります.おそらく,日本人が「漢方」と聞くと,日本と中国の湯液をイメージすることが多いのではないでしょうか.

「中医」という言葉は,中国では中国伝統医学全体を指しているらしいのですが(合ってますか?),日本では,中国政府主導でここ数十年でまとめられてきている統一教科書の伝統医学をイメージし,中国伝統医学全体は「中国医学」と呼ばれるみたいです.

中国人が東洋医学と聞くと、日本独自の医学と聞こえます.自分たちは中央(中国)で,これに対する東だから,当然日本なわけです.日本人が東洋というと,西(ヨーロッパ,アメリカ)に対する東だから,アジア周辺の広範な地域を指します.

日本における漢方の歴史

日本に中国の医術が伝えられたのは欽明天皇の時代です.しかし,一般の民衆がその恩恵に浴することができるようになったのは室町時代まで待たねばなりません.当時,田代三喜が中国へわたり,唐宋金元の医学を習得して帰国し,これを足利学校で一般民衆に施しました.彼の評判を聞いた間直瀬道三は三喜に師事し,多くの弟子を育成しました.三喜,道三らを開祖として,この医学は日本に広まりました.

江戸時代になると,傷寒論の古に戻ろうとする流派が台頭しはじめました.道三らの医学と区別する為に「古方派」と呼ばれ,一方それまでの医学は,傷寒論より時代を下った金元時代の理論を元にしていることから「後世方派」と呼ばれます.古方派は傷寒論を中心に据えた実践的な医術を行い,後世方派は黄帝内経を中心にした理論的な医術を行いました.どちらも一長一短ですが,理屈抜きの医学が日本人好みであったためか,日本ではそれ以後,古方が中心となります.内経系の理論を極力排除した古方派ですが,その最たるものは吉益東洞の医学です.彼は陰陽五行はもちろん,気血水・六病位まで否定して,徹底的な理論の排除を行いました.

時代がやや下ると,古方と後世方の長所を探って採り入れようという折衷派が現れました.また,臨床から離れて文献を中心に理屈で考えていこうとする考証派が現れました.

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